あなたの楽しい想い出は何ですか??
なかよし掲示板では、皆様の「想い出」にまつわる楽しいエピソードを大募集中!
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※『ボンタンアメプレゼントキャンペーン』は2008年4月15日火曜日をもって終了いたしました。
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母の日
tubaki
今日5月11日は「母の日」ですね。
母が倒れる前は、遠くに住む母へのプレゼントを考えるのに、頭を悩ませたものでしたが・・・。
ある年は「花」。またある年は「スカーフ」。時には電報、時にはお金、と、少しだけわずらわしい気持ちと共に義務を果たす感じもあったことを、今寂しく思い出します。
町中に母の日のプレゼント情報があふれる去年も今年も、母へのプレゼントを買うことができません。
私の誕生日は5月10日で、母の日と重なる年も多いのですが、
それで、母が倒れる前はよく
「今日ははんが(あなたの)誕生日じゃっな」
と、プレゼントのお礼とともに、電話をくれたものでした。
受話器の向こうで、
今日は畑の草取りをしたとか、布団を全部お日様に当てたとか、たわいのない話題を話すと、もう話すこともなく受話器を置くものでした。
もっと若く元気なころは、「筍を送る」とか、「お茶をとったから送る」とか・・・、
本当に、昔の母たちは何であんなに子供に送り物をするのがすきだったのでしょうか。
必ず「ぼんたんあめ」と「兵六餅」を入れて。
故郷のものを子に忘れて欲しくない、親の気持ちが見えます。
当時は、電話でのこんなたわいのない出来事の羅列を、幸せと考えることはありませんでした。
今、遠い施設で寝たきりになっている母。
動くことも、喋ることもできない人を
ただ触るだけでもしたい、と強く思います。
どこの母たちもそうなのでしょうか。
私の母も、自分より子を優先させた思い出しかありません。
だからでしょう。
特別な思い出ではないのに、母と共に思い出すことは全部、この胸を暖かくしてくれるのです。
なかよ市は鹿児島のどこ?
プーママ
TVCMを見る度に、心温まる景色が気になります。
2人が自転車を走らせる川沿いの道、町を見下ろす
山の上はどこにあるのでしょうか・・・
実際そこに行き、ボンタン飴を食べたいです。
大好きなんですよ
kanetti
厄年を過ぎた私の子供の頃は、お菓子といっても今ほど豊富な種類がありませんでした。それに何より実家は宮崎の山間部でしたので、その選択肢は極端に狭いものでした。
さらに両親が比較的高齢になってからの子供ということもあって、買い与えられるお菓子は「モダンではない」。チョコレートが食べたいのに、どうしてもボンタンアメ、兵六餅・・・。遠足にも同じ。
現在、東京に暮らしていますが、稀にスーパーなどで見つけます。涙腺が緩むほど思い出が溢れてきます。手に取らずにはいられません。
今でも好物
みさを
娘はアメリカ在住16年、キャリアウーマンです。
その昔、わたしは仕事を終えて保育園に寄り2歳の娘を引き取り、その帰途には近くのスーパーマーケットで夕食用の買い物。
当時から、娘の健全な歯の為に甘いものに気を使っていましたが、わたしの鹿児島への初めての
観光訪問で口にした「ぼんたあめ」の箱を陳列棚に
見出した時懐かしいのと同時に、これっ!と娘への
間食用の甘いものとして選びました。
初めて与えた時から娘はぼんたんあめが好きで、それ以来、娘は菓子コーナーではその”ぼんたんあめ”の箱を探します。時に見つからない時の様子は
哀れなもので、似たようなサイズの代わりのビスケット箱を手にしていました。
成長した娘は付き合いにチョコレートを少々食べますが、あの”ぼんたん甘みの物”以外にはあまり興味示さず、日本食品の殆どが手に入るアメリカのフロリダにはわたしが、娘注文の本のそばに、あの変わらぬデザイン、色の箱入り ぼんたんあめ をそえて送ります。
新規投稿
tubaki
現在身動きできないからだになって特養にお世話になっている母の家計簿を昨日読んでいたら、1966年9月13日に「農協の研修旅行」とあって、訪問先の一つに「セイカ食品」とありました。ぼんたんあめと兵六餅は、鹿児島育ちの私にはいくつになっても懐かしい母の味です。関西に嫁いでからは、頻繁に小包をくれるその中には必ず!セットになったぼんたんあめと兵六餅の大きな箱が入っていました。いくつ食べても飽きの来ない味。大切な母の味です。もう一度口からたべさせてやりたい。